新潟交響楽団沿革(1953年、第2回定期演奏会プログラムより)

京都大学管弦楽団で露国人指揮者エマヌエル・メッテル氏の薫陶を受けた松木明と国立音楽学校ヴァイオリン科卒業の故人中村哲夫(葛塚出身)海軍々楽隊出の桑原丙治(加茂出身)の3人等が中心となって設立、時に昭和6年秋のことであった。

最初メンバー二十五人位の小管弦楽団(一管編成)で昭和7年11月イタリア軒の演芸場で第1回の発表演奏会を開いた。

爾後年1回位宛演奏会を開いて来たが指揮者松木が東京に去り其の後間もなく支那事変が起こりメンバーの中で応召する者相次ぎ且大東亜戦争となってからは音楽に没頭する事不可能となったため終戦当時は石本準一等数名を残す型ばかりのオーケストラとなって居た。

終戦後旧メンバー次々と復員し且松木が官途を去り新潟に居住することになったのと戦後音楽熱が昂揚された事逸早く楽器を入手することが出来た事などが理由となって楽器・メンバー共に充実し昭和26・7年頃からは飛躍的に活動期に入る事となりそのメンバーも60余名となった。

従来主として県下各地の招聘に応じて演奏を続けて来たが昭和28年11月終戦後初の公開演奏会を新潟公会堂で行った。

メンバーは医師・教師・学生・勤労者・会社員・弁護士・団体役員・実業家・家庭婦人等あらゆる階級に人を網羅している真の意味の市民オーケストラである。

楽団紹介(1991年、創立60周年記念誌より)

楽団紹介

「潟響(がたきょう)」の愛称で市民に親しまれている新潟交響楽団は、昭和6年に創立された日本でも屈指の歴史と伝統を誇るアマチュア・オーケストラです。第二次世界大戦などで存亡の危機に見舞われましたが、音楽愛好家の情熱に支えられ、その灯は今日まで受け継がれています。

昭和44年のベートーヴェン「第9交響曲」県内初演、昭和48年からのゴールド・ブレンド・コンサート出演、昭和58年のNHK「音楽の広場」への出演、昭和60年の新潟市芸能まつりオープニング・ステージ・歌劇「ヘンゼルとグレーテル」出演、平成1年の横浜博での演奏、同年の新潟市制施行百周年記念・市民ミュージカル「アジブの扉」出演など数多くの演奏実績をもち、昭和57年には新潟日報文化賞(芸術部門)に輝きました。また昨年6月には、団創立60周年記念演奏会においてベルリオーズの大曲『幻想交響曲』を演奏し、好評を得ています。

これまでも菊地俊一氏、荒谷俊治氏、伊藤浩史氏など優れた指揮者に恵まれてきましたが、現在は汐澤安彦氏を常任指揮者に迎え、さらなる飛躍と向上を期しています。団員は約80名で年齢も職業も多様。仕事や勉学のあい間をぬって、いかに練習時間を確保し、実力を高めるかが、団員共通の課題となっています。

ポスターが語る潟響の歴史



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